就職と症状

就職と症状

すごい同期たち

東日本大震災

大学4年次の10月に内定式に参加しました。初めて顔を合わせる同期達でした。

専攻も趣味もバラバラで興味深い仲間たちです。うまくやっていけるのかとても不安でしたが、席が近い数人とは仲良くなる事ができました。

大学卒業も無事に決まり、卒業式までの2週間程度を実家で少しの間過ごす事にしました。就職前に実家で長く過ごせる最後の期間でした。

お昼を終えてゆっくりとリビングでくつろいでいると、いきなり大きな揺れが来ました。今までに体感した事のない大きな揺れで、食器棚や冷蔵庫が倒れそうになるくらいグラグラとしていたので急いで押さえました。

揺れが収まりテレビをつけようとすると、電源が入りません。停電でした。水道が出る事とガスが使える事を確認して、ラジオを付けました。東北沖で大きな揺れが発生したという事でした。実家の地域の震度は、6強という事でした。

食事も冷蔵庫も使えない状態のため、冷凍庫の中から優先的に消化しつつ明かりはろうそくを使って過ごしていました。

翌々日にようやく新聞が届き事のすごさを写真で知る事になりました。それからも数日間停電が続き、携帯の充電も少ないのでラジオを聴きながら余震の恐怖と過ごす事になりました。

そんな時でも時々見ていたtwitterでは、関西や九州等地方出身の同期から心配のツイートが飛んできていました。ありがたかったです。

1週間ほど経つと電車も動くようになり、無事に下宿先に戻る事ができました。大きな損傷もなく、買ったばかりのテレビも倒れていないことに安心しました。

下宿先で震災にあった友人達も全員無事でしたが、一部古い建物に住む友人は、部屋は壁にひびが入ってしまい補修作業が必要との事でした。

入社式

社宅に引っ越して数日、ようやく入社式を迎える事ができました。

一人ひとり名前を呼ばれて、社長から賞状を受け取ります。例年であれば、今後のIT社会に対する会社の方針や希望について熱く語られるという事でしたが、震災直後という事もあり、私たちを気遣った言葉をかけてくださいました。

特に大学も地方で過ごした同期は、就職を機に上京という事もあり、不安に恐怖が重なる時期だったと思います。

研修

入社式の直後から合宿の研修でした。各自研修施設集合で「社会人としてあるべき姿」や「PDCAサイクルの回し方」から「電話の受け答えの仕方」などなどを学びます。

当時は不満の多い研修でしたが、今に思えば基本的なところを押さえるための活動なので、受けさせてくれた事をありがたく思います。

研修や休憩時間、退社後の時間を通して少しずつ同期とも打ち明けていきました。私のような学部卒もいれば大学院を出てる同期もいるため、同期といえども年齢は意外と幅がありました。

学部ならば1年生と4年生、高校1年生と小学6年生。年を重ねるほど差は縮まるものだと感じました。

落ち着いている症状

お腹が下ることはある

慣れない生活に体も心もある程度のストレスが掛かっていた時期ではありますが、病気の症状は落ち着いていました。

同期に誘われて濃いめのラーメンを食べに行ったときは、さすがにお腹が緩くなる事もありましたが慢性的な下痢や腹痛、下血はありませんでした。ある程度緊張感があると症状が落ち着いているのかなと今になれば思います。

社会人頑張るマン

配属かと思いきや

最後の研修も終わり、配属が発表される日になりました。

人事の方から一人ずつ発表され、登壇して配属書を受け取ります。希望していた部署に配属されるかどうか、ドキドキの時間でした。

自分の名前がよばれて、部署名が告げられたのですが課ではなく部でした。また、同じく部に配属された同期が3人いました。

研修終了後にそれぞれが所属する課の課長が部署に連れて行って自己紹介をするという流れでしたが、私たち4人にはお迎えが来ません。連れられて行く同期たちをドナドナごとくお見送りしてたら、いつの間にか取り残されていた事になります。

他の同期が居なくなり10分ほど経過してから、ようやく部長がお迎えに来てくれました。そして、会議室に行き告げられたのは「さらなる研修」でした。

夜勤もう無理です

IT系の企業という事もあり、24/365で稼働するチームがあります。私たちは、そこのシフトに入ってもう3か月研修としてOJTを実施する事になりました。

日勤と夜勤の2交代制で今までに過ごしたことのない生活リズムでした。さすがにこれはマズイかもと思いながらも仕事へ行き、夜勤と夜勤の間もどうにか寝るようにして徐々に鳴らしていきました。

OJTも終わり頃になると締めくくりの発表資料を作成する必要があり業務を終えてから実施するとクタクタになりました。ある日、夜勤明けに資料を作成していると腕に蕁麻疹が出てきました。それほど体が悲痛を上げていたという事だったのです。

その日が終わると本配属の前に3連休を取得できるシフトだったので、どうにか終わらせ帰宅して連休中は死んだように寝ていました。
 

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